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アイテム
科学の方法における発見とアブダクション
https://doi.org/10.50831/00000984
https://doi.org/10.50831/000009842b73d3b0-42a8-4a02-84aa-10c814282930
| 名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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| Item type | 紀要論文(ELS) / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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| 公開日 | 2021-03-31 | |||||
| タイトル | ||||||
| タイトル | 科学の方法における発見とアブダクション | |||||
| 言語 | ||||||
| 言語 | jpn | |||||
| キーワード | ||||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | 探求 | |||||
| キーワード | ||||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | 科学の方法 | |||||
| キーワード | ||||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | アブダクション | |||||
| キーワード | ||||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | セレンディピティ | |||||
| キーワード | ||||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | 習慣 | |||||
| 資源タイプ | ||||||
| 資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
| 資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
| ID登録 | ||||||
| ID登録 | 10.50831/00000984 | |||||
| ID登録タイプ | JaLC | |||||
| ページ属性 | ||||||
| 内容記述タイプ | Other | |||||
| 内容記述 | P(論文) | |||||
| 著者名(日) |
佐古, 仁志
× 佐古, 仁志 |
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| 抄録(日) | ||||||
| 内容記述タイプ | Other | |||||
| 内容記述 | 本稿の目的は,科学の方法におけるアブダクションの位置づけを確認し,発見の方法とも呼ばれるアブダクションが,たんなる偶然のひらめきによりなされているのではなく,あらたな発見(の驚き)に対する心構えとしての習慣を必要とすると論じることにある。日本において「科学」という言葉は,理系,特に,自然科学をさすものと考えられがちであるが,「科学」を意味する英語のscience は「知る」を意味するラテン語に由来するものであり,疑念を解消するために知ろうとする探求の営みは,社会科学や人文科学(人文学)にも共通している。本稿では,まず科学の方法について確認したうえで,科学の成立と現在における様々な科学の営みを確認する。そのうえで,そのような科学の方法を駆動させる推論としてのアブダクションに注目し,広い意味での科学的な発見がどのようになされるのかを自然科学,社会科学,人文科学(人文学)それぞれについて検討する。 それらの検討を通じて,本稿では,一般にセレンディピティやひらめきとよばれるものが単なる偶然によるものではなく,そもそもそのような機会をつかみ取る心構えとしての習慣,つまり,何かをあらたに知る,あるいは発見するためには,日頃からあらたなものに対する予測と,そのような予測が裏切られることに対して驚く準備ができている必要があると論じる。 | |||||
| 雑誌書誌ID | ||||||
| 収録物識別子タイプ | NCID | |||||
| 収録物識別子 | AA12560733 | |||||
| 書誌情報 |
江戸川大学紀要 en : Bulletin of Edogawa University 巻 31, p. 291-299, 発行日 2021-03-15 |
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| 出版者 | ||||||
| 出版者 | 江戸川大学 | |||||