@article{oai:edo.repo.nii.ac.jp:00001239, author = {佐古, 仁志}, journal = {江戸川大学紀要, Bulletin of Edogawa University}, month = {Mar}, note = {E(その他), 近年,教育や学習の分野において,「アブダクション」と「メタファー」がそれぞれ注目を集めている。本稿では,パース(C. S. Peirce)のレトリカル・ターンと,「投射」を媒介としたアブダクションおよびメタファーとのつながりを考察することで,アブダクションとメタファーの両方が身体に根差した学習の手段,特に探求の発端(プレ・モデル,プレ・仮説)であることを論じる。 これまでの学習研究の多く,特に教育心理学においては,新行動主義と認知の情報伝達モデルとの奇妙な混合物が支配的であり,そこでは教師や教科書が「送信者」であり,生徒がその「受信者」とされてきた(Cunningham 1992, p. 167)。また,そのモデルにおいては知識や情報は教師から生徒へと一方通行,あるいはターン・テイキングな仕方で伝達される。さらに,フレイレ(Freire 1970, chap. 2)は,このような一方通行でなされる教育が,善意からなされたとしても,実は文化・社会的な仕方で抑圧を再生産するシステムになっているとまで指摘している。加えて,身体に注目した学習研究においてさえ,客観的・科学的であるために,「熟練者と初心者との動作の違い」を扱うものが大半である(Suwa 2019, pp. 169-170)。 このような学習研究に対して,構成主義や記号論の研究者は,学習者と教育者との相互作用を考慮に入れる研究や,初心者と熟練者の違いというよりも,初心者がいかに熟練者になっていくのかというプロセスに注目した研究の必要性を論じている。そのなかには科学の授業での説明や議論における推論の形式としての「アブダクション」の役割を論じているものがある(Aduriz-Bravo et al., 2019; Rapanta, 2018)。他方で,アブダクションが言及されているわけではないが,科学学習について概念メタファーと身体性認知の観点から考察された論集が編まれている(Amin et al. 2018)。 本稿ではこれらの研究の共通点を,身体経験からの「投射」として理解することで,それぞれ別々の仕方で論じられている学習方法としての「アブダクション」と「メタファー」を統一的に論じ,身体に根差した学習の方法として展開する。 また,その際C・S・パースにおいて1903 年ごろに生じたとされるレトリカル・ターンに注目することが重要であると考える(Strand 2013)。というのも,レトリカル・ターンにおいてパース自身のなかで「アブダクション」を含む(科学の)方法論の変更がみられ,この点が「アブダクション」と「メタファー」をつなぐうえで重要な視座を与えてくれるからであり,さらには,このレトリカルターンに対する記号論的研究が教育学的研究,特に,構成主義との親和性を持つと提案するものもいるからである。}, pages = {437--450}, title = {〈学術翻訳〉身体に根差した学習方法としての投射:アブダクションとメタファーについて}, volume = {33}, year = {2023}, yomi = {サコ, ヒトシ} }